ヒストリー
押し花芸術は、当協会会長の杉野宣雄のほか、杉野宣雄の祖父・父の3世代の絆と、花と緑へのたゆまぬ探究によって生み出されました。
植物学者の祖父・杉野 辰雄
杉野辰雄は小学校の教員、校長を務めながら、植物分類学者としてフィールドワークを実践、植物採集を行って多くの押し花標本を作っていました。
特にシダ植物が好きで、福岡県と熊本県の「植物友の会」や「シダの会」などに所属して活動。
東京大学総合研究博物館データベースには、杉野辰雄が採集した「スギノイヌワラビ」が掲載されています。
http://umdb.um.u-tokyo.ac.jp/dshokubu/Forest/html/SR0190.html
科学者の父・杉野 俊幸
杉野俊幸は三井東圧化学株式会社に在職中(当時52歳)に、自宅に研究室を作って、押し花の研究を始めました。俊幸が開発した押し花の退色を防ぐ技術により、NTTの押し花電報が生まれました。
息子・宣雄とともに、「押し花を日本の文化にし、世界に広げること。押し花を芸術に高めること」を目標にして、全国で押し花教室を展開して普及に尽力、2003年には宣雄と「押し花絵画創造展コンテスト」を創設しました。2013年に88歳で永眠後も俊幸の意思は受け継がれ、世界33の国と地域から延べ1万7千人以上が参加する本格的な押し花芸術の国際公募展として成長し続けています(2022年・第18回展までの実績)。
研究開発者、指導者、アーティストという多彩な顔・杉野 宣雄
杉野宣雄は、祖父と父の長所を受け継ぐとともに、押し花を中心に、押し花の立体版といえる「レカンフラワー(花の宝石箱)」や、花をテーマにした転写や染め、金属加工等のクラフト「ネイチャープリント」など、50件以上の特許(出願中含む)に裏付けされた新技術を次々に開発しています。
これらの総称を「ボタニックアート」と名付け、延べ4万人の指導者(インストラクター)を育成してきました。
さらに、全米最大の押し花コンテストで日本人初のグランプリ受賞、入場者4万7千人を記録した初の本格個展、イギリス・ケンブリッジ大学植物園での個展、オリンピック・パラリンピックのメダリストのビクトリーブーケの押し花アート制作、多数のテレビ出演など、世界的な押し花アーティストとして活躍しています。